今、流れている曲は、「インベンション1 BMW772」です

最終更新日2001,10,28

 8人兄弟の末っ子として生まれるも、10歳までに両親と死別。その後、父の従兄に引き取られ、オルガンとの
関わりを深めていきます。父の奉職の影響で、幼少の頃より教会とも関わり、教会音楽とバッハは切り離せない
関係となっていきます・・。2度の結婚を経験し、晩年は、数度の緑内障の手術に失敗。最晩年は、ほとんど失明の
状態で生涯を終え、死後のメンデルスゾーンによる復活演奏を機に、バッハの研究が行われるようになりました。


ヨハン・セバスティアン・バッハ
(大バッハ)

生年月日

1685.3.21〜1750.7.28

出身

ドイツ

アイゼナッハの町楽師兼宮廷音楽家

他界地

ライプチヒ

死亡原因

晩年はほとんど視力を失った・・

死亡享年

65歳


  バッハの曲

「管弦楽組曲第2番」よりバディネリ

  作曲に影響を受けた事柄

曲   目

彼にとっての大事件

神はわが王

1708年、市議会新議員の就任式用に作曲したカンタータ。
大好評により、印刷出版される。

カンタータ第18、31、61番

1714年よりヴァイマル宮廷の楽師長・宮廷オルガニストに就任。
E・ノイマイスター、S・フランクの歌詞を取り入れた、イタリア・オペラ様式の
カンタータが誕生する。

バビロンの流れの辺りにて

1720年の妻の急死の年、動揺する魂の救済の為に聖ヤコブ教会のオルガニスト
に志願し、演奏する。試験管のひとり、老ラインケンより絶賛を受けるが、採用ならず・・

アンナ・マグダレーナのための
クラヴィーア小曲集

1721年、再婚。妻への感謝を込めて作曲。

W・フリーデマンのための
クラヴィーア小曲集

期待を掛けた長男に音楽技術を伝授する目的で作曲。

半音階的幻想曲とフーガ

1719年にベルリンへ発注したチェンバロが法外に高かった為、刺激されて作曲。

「ブランデンブルク協奏曲」第5番

マタイ受難曲

メンデルスゾーンの復活演奏により、脚光を浴びるきっかけとなる。


  バッハと関わった人達

ヨハン・クリストフ

父の従兄であり、作曲家、そしてオルガン演奏家で、
オルガンについての基礎知識を習う。

D・ブックステフーデ

1700年初頭の北ドイツ・オルガン音楽の重鎮。

ヘンデル

尊敬するヘンデルとの謁見を期待し訪問するが、
ふたたび旅たった後で、生涯謁見は叶わなかった。

アンナ・マグダレーナ

2度目の妻であり、バッハの深い理解者。作品を数多く
筆写し、協力している。


  バッハが影響を与えた作曲家たち

モーツァルト

死後久しく脚光をあびなかったバッハを高く評価していた。

メンデルスゾーン

マタイ受難曲の演奏により、脚光を浴びるきっかけを作る。