今、流れている曲は、ドヴォルジャーク作曲「ユーモレスク」です

最終更新日2000,5,15

 ブラームスとの出会いがなかったら、今日のドヴォルジャークは存在しなかったかも知れません。彼の音楽に
影響を与えた、ベートーヴェン・シューベルト・スメタナそしてヴァーグナーも重要ですが、親交による影響には、
はかり知れないものがあるのでしょう・・・


アントニーン・ドヴォルジャーク

生年月日

1841.9.8〜1904.5.1

出身

チェコスロバキア

宿屋兼肉屋

他界地

プラハ

死亡原因

脳溢血

死亡享年

62歳


  作曲に影響を受けた事柄

曲  目

彼にとっての大事件

教会音楽「スターバト・マーテル」

 75年より77年にかけて、1男2女に次々と先立たれ、その悲しみの中書かれた曲。近代チェコの最初の教会音楽の名作となる。 

モラヴァ二重奏曲集op.32

 新進芸術家奨学金の審査員をしていたブラームスとの交際のきっかけとなる曲。

「スラヴ舞曲集」第1集

 ブラームス紹介による、ベルリンの音楽出版社ジムロックからの依頼により作曲し、この大成功により、名声が国際的になるきっかけとなる。 

序曲「フス教徒」

 82年、芸術家奨学金の音楽部門顧問、ハンスリックよりのドイツ・オペラ作曲依頼を・・84年、ウィーン宮廷オペラ総監督ホフマン男爵からの依頼を断り、愛国的な作品を書いた。

交響曲第7番ニ短調

「スラヴ舞曲集」第2集

 86年、ジムロックよりの依頼での作曲。稿料は第1集の10倍。名声は高まっていた。

交響曲第8番

 84年前後より9回も訪れていた、イギリスからの委嘱により作曲。

レクイエム

交響曲第9番「新世界から」

 92年秋より95年春まで、ニューヨーク国民音楽院の院長に就任し、アメリカ滞在中に書かれたポピュラーな名曲。

弦楽四重奏曲第12番ヘ長調
「アメリカ」

チェロ協奏曲ロ短調

 交響詩「真昼の魔女」

 アメリカからの帰国後の作品で、ヤナーチェクに影響をあたえることとなる。

オペラ「アルミダ」

 ヴァーグナーの亜流の失敗作。


  ドヴォルジャークと関わった人達

ブラームス

奨学金生活の頃に知り合い、以後、兄弟のような交際を始める。
交響楽や室内楽の影響を受けるようになる。

スク

91年よりのプラハ音楽院教授時、作曲などを教えた門下生。

ノヴァーク

ヤナーチェク

ドヴォルジャークの作曲様式を継承発展させた人物。